オリエンタリズム|ORIENTARHYTHM

WHAT’S NUNCHAKU

ヌンチャクとは?

最初に書いておきます。長くなります。
ヌンチャクについて説明する前にまず日本の空手について簡単にご説明しましょう。しかし空手発祥説やヌンチャク発祥説は諸説ありますので先に申し上げておきますが、これは私(サカクラ)個人の考えです。あしからず。
さて、空手の根源を辿っていくと沖縄に古くからあった「手(ティー)」と呼ばれる武術に行き着きます。それは11世紀から12世紀にかけて、それまでの様々な格闘技術や武器術が整理されて誕生したもので、その当時沖縄は戦国時代にあり必要性に駆られての誕生だったと思われます。当然、国取り合戦なワケですからその技術は今の空手とは程遠い内容でした。空手は「空手に先手なし」の言葉通り、あくまで自己防衛がその基本となっていますが、戦国時代となれば、まず先に相手を倒さなければいけません。そしてそのためには空手の本分である「徒手空拳(手に武器を持たず戦う)」では大変効率が悪いので様々な武器の技術(棒術や剣術)も集大成されたのです。その後12世紀後半から中国との国交が盛んになり中国拳法の影響を受けて「手」は再編成され「琉球古武術」となります。そしてそこからさらに進化したものが中国(唐)の影響を受けた「手」ということで「唐手(からて)」と呼ばれ、いつしか徒手空拳で自己防衛が本分の現在の空手となったのです。かなりかいつまんでますが、これが大まかな空手発祥の流れといえるでしょう。

この流れの中で注目すべき点は「琉球古武術」です。通常の空手道場では学ぶ事のできない古くからそのまま残されて来た武器術が「琉球古武術」には含まれており、ヌンチャクもこの中に含まれるのです。ようやく本題の「ヌンチャクとは?」が見えてきた感じがしますが、実はここからが難しいのです。「琉球古武術」が中国の影響を受けている事は間違いありません。となるとヌンチャクも中国のモノ?となるのは当然ですが、ここが諸説飛びかっている難解な部分なのです。しかし私は断言します!ヌンチャクとは沖縄(日本)独自のものであると。もちろん「ヌンチャク」という名称自体は沖縄の言葉です。しかし私が言いたいのは、その源流となるものは中国から来たわけではないという事です。この事を武器の用途と形状から考察してみたいと思います。

用途からの考察

まずは「ヌンチャクの元になったのではないか?」と考えられている武器類の解説をしましょう。たしかに中国にはヌンチャクに酷似した武器があります。双節棍(そうせつこん)とか二節棍(にせつこん)または両節棍(りょうせつこん)と呼ばれているものです。2本の棍(棒)を鎖で繋いだものですが、しかしこれは一つの棍の長さが1mほどもあり、まっすぐ伸ばすと全長は2mを超えるような大きなものです。これだけ大きいのですから当然ヌンチャクのように片手で振り回すような使い方ではなく、一方の棍を両手で握りもう片方を相手に振り当てるようにします。ただの長い棍棒では盾などで簡単に防げますが双節棍の様に棒の途中に自由に動く接合部がある事で、攻撃を盾で防いでも鎖より先の棍が盾の向こうに廻り込み敵に打撃を与える事ができたのです(図1参照)。

また、梢子棍(しょうしこん)と呼ばれる武器もヌンチャクに良く似ています(図2参照)。ヌンチャクと違う点は2つの棍の長さが違うところです。これは長い方の棍を持ち短い方を振ることにより、空振りした時に自分自身の握り手に棍が当たらないための配慮でナルホド良く出来ています。この梢子棍には様々な長さのものがあり、大きいもの(長い方の棍が150cm、短い方が40cmもある大きなもの)は騎馬上から敵方の馬の足を払って馬ごと倒すのに使われたりしました。どちらにしても一方の棍を両手で握ってもう片方を振り当てるわけです。これでは片手で扱うヌンチャクとは用法も用途も違ってしまいます。片手で扱うヌンチャクの様な武器は中国にはないのか!?…..いいえ、あります。前述の梢子棍の中で最も小さい双梢子棍(そうしょうしこん/図3参照)がそうです。双梢子棍の大きさは長い方の棍が40cm、短い方が20cmとヌンチャクの棍の長さ(ヌンチャクは30cm前後が一般的)とほぼ同じで片手で扱います。しかし!小さく片手で扱えるという事でこれを両手に一つずつ持って使用するのが双梢子棍の特徴です。中国の武器は体力や腕力のあるものは長く大きい武器を使い非力なものは短く軽い武器を練習し修得したのですが、双梢子棍は短く軽い分、両手で2つ扱う事で攻撃力を高めたのでしょう。短い棍を縦横無尽にしかも両手で振り回す事で白兵戦で効果を発揮したのです。この中で言えば双梢子棍がヌンチャクに一番似ているかと思われますが実はここにも違いがあります。まずヌンチャクは両手に一つずつ持って使うことはありません。一方、双梢子棍の場合、両手に一つずつ持っているのでヌンチャクの様に攻撃のごとに戻って来た棍を手の中に納め構え直すような使い方も出来ないのです。

もっぱら中国武術の武器は暗器と呼ばれる隠し武器以外は白兵戦での使用を前提にしています。双節棍(二節棍・両節棍)や梢子棍もあきらかに広い場所で多人数対多人数の白兵戦での使用を前提としたものです。ここに決定的なヌンチャクとの違いがあります。そもそもヌンチャクの最大の特徴とは相手に持っている事を気付かれずに携帯できる所なのです。時代背景や身分の為に帯刀を許されなかった人達が持ち歩き護身の為に使用したのです。けっして戦国時代に白兵戦に使われた武器が源流ではありません。この様に武器として一番肝心な使用目的が違う点が、「ヌンチャクの源流は中国にあらず」と考える一つの要因となっています。


形状からの考察

さらにその形状からもヌンチャクが沖縄独自の武器であることがわかります。ヌンチャクは現在、素材や形など色々なものがあります。しかし古くから伝わっているものは30cm程の八角棒を丈夫な紐で繋いだもので材質は樫などの特に堅い木材を使用していました(図4参照)。前述の通り、中国の武器で棍と棍を繋いだ形の武器は数多くあります。しかし全ての武器の接合部は金属製の鎖で繋がれています。今まで私の知る限り、鎖ではなく紐で棍を繋いだ中国の武器は見た事がありません。そのほとんどの使用目的が白兵戦なのですから一度の使用で力一杯何度も打ち込む事や、相手方が刃のついた武器の場合を想定しての事でしょう。しかしヌンチャクは違います。棍と棍の間は紐で繋がれています。なぜか?これはヌンチャクが農耕具から発展して生まれた武器だからです。この説は以前からありましたが農耕具とは、ほとんどが「脱穀用の農具」とされていました。しかし私は「乗馬用の馬具」説を押します。これはムーゲー(図5参照)と呼ばれる古い馬具で、2本の木を紐で繋ぎ、この紐の部分を馬に噛ませるようにして轡(くつわ)として使用していたものです。左右の木片に開いた穴に手綱を通して馬上から馬を操りました。ムーゲーの木片の長さは25cm~30cmとヌンチャクの長さとほとんど同じです。特筆すべきは両者とも木部と紐の接合方法が同じ方法で結ばれている点です。これは特殊な方法で、2つの横穴と先端の穴を使いしっかりと結ばれています。紐と鎖。使用目的や発祥の違いがこんな形状にも現れているのです。この一見なんの変哲もない馬具がなぜ武器化していったのか?それは琉球が独立国家として栄えていたが為の政策や日本を含む他国からの利権争いに巻き込まれた事に端を発しているのです。

15世紀後半、琉球王国の国王尚真王(しょうしんおう)が他国との戦争に備えるために王国内の武器を全て一括で保管するという政策を行いました。護国を考えるあまり民衆から武器を取り上げたのです。さらに16世紀には薩摩藩が琉球に侵攻し禁武政策を敷き、これにより民衆の手元に武器は一切なくなったのです。そして武器が無くても自分の身を守らなければならない状態が長く続き、ムーゲーのようにただの農耕具だったものがヌンチャクのような武器に変わっていったと考えられます。農耕具も兼ねる形状の武器であれば禁武政策下であっても普段持ち歩いたり身近に置いておけるという民衆の知恵でした。武器として発祥した双節棍(二節棍・両節棍)や梢子棍、それに対し見た目には武器とは見えない様なものをあえて武器として使用せざるをえなかった琉球のヌンチャク。やはりこれらは見た目に似ていてもまったく別のものと言わざるをえません。以上の事から私は「ヌンチャクの源流は中国にあらず」と考える様になったのです。フゥ~長かった…。

まだです。まだこの話には続きがあるのです。ここから先がもっとも重要な部分です。私達は色々な国でパフォーマンスをしてきました。どこの国でも「Nunchaku(ヌンチャク)」といえばすぐに通じます。これはもちろんブルース・リーの功績に他ならないワケで、彼の映画が世界的にヒットしたおかげでヌンチャクという言葉が世界共通語になったのです。しかし実はブルース・リーが映画の中で使用している武器はヌンチャクではないのです。もちろん中国の梢子棍や双節棍とも違います。日本でも中国でもないとするといったいドコのもの?答えはフィリピンです!ナントあれはフィリピンの伝統武術「KA-LI(カリ)」の一種が変型したものなのです。ビックリですよね。世界中があの映画の中の武器をヌンチャクと呼んでいるのにブルース・リー本人は「ヌンチャク」なんて当然呼んでいませんでした。それは『タバク・トヨク』と呼ばれていたのです。もともと「カリ」とは短い棒(60cm~90cm)を非常に巧みに操るもので、手首や肩のまわりをクルクルとトリッキーに回したりする棒術の一種です。16世紀にスペインの侵攻をうけたフィリピンは植民地化され、琉球と同じように民衆は統治者の弾圧をうけました。そんな中から生まれたのがこのカリで、当時は練習する事すら隠れて行われ、伝承も父から子へと一子相伝だったそうです。ここらへんの発祥の仕方はヌンチャクと良く似ていますね。このカリの名手、Dan Inosanto(ダニー・イノサント/映画『死亡遊戯』でブルース・リーと共演)氏がカリのテクニックをスティックではなく「真ん中が鎖で繋がれた30cmほどの2本の棍棒」で行い非常にトリッキーな技を生みだしました。それが『タバク・トヨク』であり、ブルース・リーが映画によって世界中に広めた武器なのです。この「真ん中が鎖で繋がれた30cmほどの2本の棍棒」はもともとなんだったのか?そこまでは私もわかりません。しかしここにその答えのヒントとなるこんな写真があります。これはブルース・リーのかなり若い時の写真ですが、『タバク・トヨク』をよく見てみると、棍は丸棒で間が鎖で繋がれているのがわかると思います。このスタイルは中国の梢子棍などとまったく同じです。恐らく『タバク・トヨク』のもとになったのは中国の武器ではなかったのでしょうか。それともフィリピンにもともとあったものか?まぁ、非常に単純な構造の武器ですからフィリピンで独自に発生したとも考えられます。ダニー・イノサント氏が、通常1本の棒で行うカリのテクニック(手首や肩のまわりをクルクルとトリッキーに回す)を鎖で繋がった2本の棒で行ったのが、みんなが知っているあの映画の中の「ヌンチャク」の動きだったのです。

ダニー・イノサント氏の『タバク・トヨク』の動きをはじめて見たブルース・リーはこう言いました。「実戦での効果は期待できないだろうが、映画ではとても栄える動きだ。」と。ナルホド、ビジュアル的にはカッコ良かったってワケですね。
さあ、かなりまとまりのない話しとなってしまいましたが、最後にムリヤリまとめてみます。

  1. ヌンチャクとは日本(沖縄)独自の文化から発生した武器であり、けっして中国の武器ではない。
  2. ヌンチャクは隠し持つ事が大前提である。
  3. よってヌンチャクの使い方は映画のように派手に振り回すのではなく、相手の一瞬のスキを突いて出した一回の攻撃で全てが決まるような地味なものであった。
  4. ブルース・リーが映画によって全世界に広めた武器はヌンチャクではなく『タバク・トヨク』である。

これがこの単純極まりない武器「ヌンチャク」の全てです。おそらくブルース・リーの映画を見て誰かが最初に「あれはヌンチャクという武器だ」と言ったのでしょう。そのおかげでヌンチャクは世界の誰もが見た事のある武器となりました。はじめは持っている事すら隠さなければいけなかった武器が…。名前だけが独り歩きをしてしまったヌンチャク。ほとんどの人がカンフーの武器と思っているでしょうが、探ってみると中国はおろかフィリピンまで巻き込むことになったのです。
私は10歳の時に空手と共にヌンチャクを習い始めました。そういわれてみると確かに当時教えて頂いた動きは本当にシンプルで実戦的なものだったと思います。 しかし映画の影響力は大きく、いつしか派手で「見せる」動きばかりを練習するようになりそしてORIENTARHYTHMの真骨頂ストリートヌンチャクが誕生したのです。
…というのが私が考えている「ヌンチャクとは?」です。先にも書きましたがあくまで私個人の考えなのであしからず!